2014年03月24日

日本古代史最後の内乱「壇ノ浦の海戦」

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歌川国芳「壇浦戦之図」。
平安時代末期の元暦2年/寿永4年3月24日は、壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)最後の戦い「壇ノ浦の海戦」がおこなわれた日。
この治承・寿永の乱、俗にいう「源平合戦」は6年にもおよぶ大規模な内乱で、「壇ノ浦の海戦」による平氏の敗北で幕を閉じることになります。
この海戦により、平家は知盛(とももり)以下一門の多くが戦死・入水し、安徳天皇も二位の尼(平清盛の妻)に抱かれ、三種の神器の宝剣とともに入水。平宗盛らは捕らえられ、京に送られます。

秋山真之の先祖、日本最強の伊予水軍。
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」で有名な、バルチック艦隊を壊滅させた大日本帝国海軍参謀の秋山真之は、日本最強といわれた伊予水軍の末裔。
この伊予水軍が「壇ノ浦の海戦」の勝敗を決めたとも言われています。当初は平家方に味方していた伊予水軍ですが、源氏に寝返り源 義経を勝利に導きます。
伊予水軍の戦法は、当時の海戦ではタブーであった非戦闘員である水夫を真っ先に殺し、舵取りの失った舟を攻撃するというもの。水軍といってもそこは海賊。
義経も武士の仁義を捨て、この海戦の勝利を手に入れたわけです。

義太夫浄瑠璃の傑作「義経千本桜」。
人形浄瑠璃や歌舞伎の演目でおなじみの「義経千本桜」。
「壇ノ浦の海戦」で大勝利し、平家を滅ぼした義経だが、兄頼朝の怒りを買い朝敵となってしまった義経と、「壇ノ浦の海戦」で実は生き延びていた平家の武将らの悲劇を描いたお話です。

上の絵は「義経千本桜」の二段目:(渡海屋・大物浦の段)の「壇ノ浦の海戦」の場面を浮世絵師 歌川国芳が描いた「壇浦戦之図」。
「壇ノ浦の海戦」で総大将を務めた新中納言平知盛(とももり)の悲壮な姿を豪快に描いております。
平家一門ももはやこれまでと、二位の尼は幼い安徳天皇を抱きかかえ、「海の底にも都の候」と言い聞かせ、そのまま荒波に身を投じます。三種の神器をもった平家の女官も、後を追って次々と入水。最後に残った知盛は「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残し、碇をかついで海中に没してしまう、最大の見せ場です。

祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり  沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす  おごれる人も久しからず  ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ  偏に風の前の塵に同じ

平家物語の冒頭の言葉のように、この世に永久不変なものはないのです。
しょせん栄華とは、春の夜に見る夢のようなもの・・・・・。

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歌川芳艶「八嶋壇浦海底之図」

歌川国芳の門人、芳艶(よしつや)が描いた「八嶋壇浦海底之図」。
国芳の武者絵の才能を最もよく受け継いだ絵師といわれる芳艶。
碇を背負い海底に没しした知盛だが、その無念は亡霊となり、なお戦おうとするのか・・・・。


posted by ツルカメ at 17:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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