2014年05月08日

首切りに生涯を捧げた男たち・・・・

首切り1.jpg
画像は市谷監獄へ出仕する8代目 山田浅右衛門吉亮。
先月30日に永眠された渡辺淳一さんを偲んで、「項(うなじ)の貌(かお)」を再読。
本書は直木賞を受賞した、明治時代の西南戦争で負傷した2人の軍人の人生を描いた「光と影」をはじめ表題作の「項の貌」等、渡辺氏の医学的知識をバックボーンに描かれた6編からなる異色の歴史短編小説です。

首切り浅右衛門家に伝わる一門相伝の秘法「項の貌」
表題作の「項の貌」は江戸時代に御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主、山田 浅右衛門(やまだ あさえもん)のお話。死刑執行人も兼ね、処刑の際の首切りの役目を拝命したことから、首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門とも呼ばれましたが、山田 浅右衛門は山田家の当主が代々継いだ名称で、明治15年に斬首刑が廃止されるまで実に9代にわたって継がれました。
そして5代目 山田浅右衛門吉睦が6代目に伝えた「項に貌あり」という謎めいた言葉。 筆者である渡辺淳一氏はこの言葉とともに、千住回向院にある山田 浅右衛門の刀に疑問を抱きます。
その刀は500人もの罪人の首を切りながら刃こぼれがしていないというもの。
医学的に見て、太くて固い首の頸椎を500人も切ったら歯こぼれどころか、刀がガタガタになるはず。
そこで渡辺氏は、浅右衛門は骨を切らずに骨と骨の間にある推間板を切ったのではないかという推論に達します。しかしレントンゲンも無い時代に、首の後のこの部分を切るのは至難の技。 そして人骨模型を使ってあらゆる方法を探っているときに「項の貌」という言葉が頭をよぎります。
人骨模型で「項」と呼ばれる首の後部分を探っているときに、偶然にも頭蓋骨と第1頸椎のあいだで1直線になる位置を発見。 解剖学的には後頭頂部突起と呼ばれ、罪人が顎を突き出し、頭を後に引くと、皮膚の上からでも項部分に突起物が見れるそうです。
しかしその突起はわずが5mmにみたない隙間。 浅右衛門を継いだ山田家の男たちは、この5mmにみたない「項の貌」をめがけ刀を振り下ろしていたのかもしれません。

蜩(ひぐらし)や 地獄をめぐる油皿
これは4代目 山田浅右衛門吉寛の辞世の句。 なんとも壮絶な句です。
浅右衛門の名を継いだ者たちは、幼少から処刑場に連れていかれ、斬首シーンを見せられ恐怖心を克服させられたそうです。そして日々の鍛錬も過酷なものだったとか。 行灯の油皿の中で、炎に焼かれながらもがき苦しむ蜩を詠った吉寛。
首切りという、呪われた家業を継いだ男たちだけが知る、尋常でな無い世界があったのでしょう・・・・・。

ちなみに9代目 山田吉亮は8代目 山田浅右衛門吉豊の実弟で大久保利通暗殺犯の「島田一郎」や、「高橋お伝」を処刑。明治十二年(1879年)1月31日に斬首になった「高橋お伝」が日本で最後の斬首刑となり、これももって山田浅右衛門の呪われた家業も消滅いたします。

医学者である渡辺氏の知識が生かされた、歴史医学小説ともいえる「項の貌」。
メスをペンに持ちかえた記念的作品集です。

渡辺淳一氏のご冥福を祈りつつ・・・・・。


posted by ツルカメ at 22:29| Comment(0) | 本のはなし・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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