2014年06月27日

雨晴れて、月朦朧の夜に・・・・・・・・・

雨月物語1.jpg
幻想、怪異、幽玄なる9編が織りなす怪異短編小説の傑作「雨月物語」。
今日6月27日は雨月物語の作者「上田秋成」の秋成忌。
江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人であり、この雨月物語によって新しい文学ジャンルを作り上げた功績は多大のものといえるでしょう。

「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」
「 青頭巾」「貧福論」の9編からなる雨月物語。

その中で今日ご紹介するのは巻之一の「白峰(しらみね)」。
崇徳院と西行の幽玄なる「歌詠み合戦」!
この物語は仁安3年(1168年)に西行が中四国への旅へ行った際、讃岐国の善通寺(香川県善通寺市)でしばらく庵を結び、旧主・崇徳院の白峰陵を訪ねてその霊を慰めたと伝えられるエピソードを題材に秋也が小説にしたためたものです。

保元の乱で、弟である後白河天皇に敗れ、讃岐国へ配流された崇徳上皇。せめて自分が写経したお経だけでも都の寺に納めたいと願いでるが、その願いも虚しくお経は全て送り返されてしまいます。
これに激怒した崇徳上皇は「魔王となってこの世を悩まし、乱してやろう」と、自らの指を食いちぎり、流れる血で呪いのことばを経に書き海に沈めます。その後、上皇は深い怨みを持ちながら、悲しみのうちに亡くなります。
その数年後、親交のあった西行が旅の途中に讃岐国へ訪れます。崇徳院の白峰陵で経を唱え、亡き崇徳上皇へ歌を詠む西行。
「松山の 浪のけしきは かはらじを かたなく君は なりまさりけり」
その時、異形の人影が表れ「松山の 浪にながれて こし船の やがてむなしく なりにけるかな」という返歌がかえってきました。
西行は、崇徳院が成仏せずに怨霊となっていることを咎め、西行と院の論争が始まります。 そして西行は院の浅ましい浅ましい姿を嘆き哀しみ、一首の歌を詠みます。
「よしや君 昔の玉の床とても かからんのちは 何にかはせん」
(天皇の身分など現世のもの。死んでしまえば、人はみな同じ。昔の身分や、怨みを忘れて、おだやかにお眠りください)
すると、院の顔が穏やかになり、段々と姿が薄くなり、消えていきました。

この世に未練を残し怨霊となりしモノと、それを救わんがとする人間との対話が
幽玄なる美の言葉となり、紡がれていく秋也の生んだ怪異文学の最高傑作です。

私の本は30年以上前に買った角川文庫の鵜月 洋 訳注のもので、読みやすくはないですが、原文にちかいものの方が読みごたえがあります。

「雨は霽れ月朦朧の夜、窓下に編成し、以て梓氏に畀ふ。題して雨月物語と云ふ」
序文に書かれた秋成の言葉です。

雨月物語2.jpg
挿絵は江戸時代の大坂の浮世絵師、桂眉仙。

雨月物語3.jpg
歌川国芳『百人一首之内』より「崇徳院」


posted by ツルカメ at 22:07| Comment(0) | 本のはなし・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。