2014年08月01日

大和魂の真意は・・・・

大和魂.jpg
先日の大関昇進の伝達式の口上で「大和魂を貫いてまいります」と決意表明をした豪栄道関。
この言葉を聞いてふと、私が小学生時代に活躍していた元WBA・WBC世界スーパーライト級王者、藤猛(ふじ たけし)を想い出してしまった。
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身の日系3世で、アメリカ合衆国海兵隊員として米軍横須賀基地等に配属されていた藤猛。海兵隊時代からアマチュアでボクシングをしており、その強打からハンマー・パンチの異名を持ち、相手をリングに沈め、カタコトの日本語で「ヤマトダマシ〜〜!!」と叫ぶ彼の姿は、お茶の間の人気者であった。

大和魂の真意は
日本の文献上でこの言葉が最初に使われたのが、紫式部の源氏物語〈乙女の巻〉。
物語の中で、光源氏は12歳になった長男の夕霧に元服の式をあげさせ,周囲の反対を押し切って大学寮へ入れる。
当時の公家社会では、高位の貴族の子には本人の能力に関係なく、父・祖父の位階に応じて一定の位階が与えられ、それに相当する官職に就けるという特権があったが、源氏は大切な嫡男をノンキャリからスタートさせるのである。

「才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も強う侍らめ」
この時、光源氏は夕霧にこう述べた。
ここでいう「才(ざえ)」とは平安時代における「漢才(漢学の知識・才能)であり、「本(もと)」とは日本民族固有の能力、知恵のこと。
光源氏は、中国などから流入した知識・学問をそのまま日本で受け入れるのではなく、基礎的教養として採入れ、それを日本人独自の思考ないし行動に合わせて応用すべきだと、息子に諭すのです。

大和魂とは日本民族固有の能力・知恵
先の大戦の国粋思想で用いられた「大和魂」は、日本民族固有の「精神」。そして日本人としての「意識」であったが、これは戦争でゆがめられた考え。
本当の真意は日本民族固有の「能力」そして「知恵」なのです。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 
留め置かまし 大和魂

吉田松陰 ー辞世の句ー
正しいと信じたものは、断固貫き通す。それは精神性うんぬんではなく、日本民族固有の至誠であり、能力なのでしょう。
「私の命がたとえこの武蔵野の野で終えることになっても、自分の思想はここに留めておこう」 松蔭が斬刑に処される前に詠んだ辞世の句。彼の真摯な姿が想い浮かばれます。

※上の画像は我らがサバイバルゲーム有志会のパッチでございますが、国粋主義者ではございません。


posted by ツルカメ at 16:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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