
与謝蕪村 「学問は 尻から抜ける ほたる哉」
天明3年12月25日は、俳人であり画家の与謝蕪村の春星(しゅんせい)忌です。
松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ俳諧の巨匠であり、俳画の創始者である与謝蕪村。画号は「春星」。
この惚けたようなユル〜イ画がなんともいえません。
学問は 尻から抜ける ほたる哉
いくら知識を頭に詰め込んでも、尻から出る屁のように、どんどん抜けていってしまうものだ。
蕪村らしい屈託のない句です。
ここで言う「ほたる」は『蛍雪の功』をもじっているのでしょうか・・・・。
夏の夜、数十匹の蛍をつかまえて、その蛍の光で勉強した車胤(しゃいん)。
冬の夜、窓辺に雪を積み上げて、その雪明かりで勉強した孫康(そんこう)。
二人はその努力が報われて、偉い役人になったという故事に基づいたものですが、知識は貯めるものではなく、それをいかに活用するかが問題であると、蕪村は言いたかったのでしょうか。
学びて思わざれば、すなわち暗し。
孔子のお言葉です。
教育の最大の目標は、知識ではなく行動である。
こちらはイギリスの哲学者スペンサーのお言葉です。
教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、
自分のなかに残るものをいう。
これはアインシュタインの言葉です。
原文は
Education is what remains after one has forgotten everything he learned in school. The aim must be the training of independently acting and thinking individuals who see in the service of the community their highest life problem.
教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分のなかに残るものをいう。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう。
知識ばかりの頭デッカチになってはいけないということでしょう。
屁のように尻から抜けた後に残ったものに、真価があるのかも・・・・・・。
「白梅に 明くる夜ばかりと なりにけり」 蕪村 辞世の句
新春の白梅が咲きほころぶ景色を想いながら、12月にこの世を去った蕪村です。