2015年01月18日

江戸城を紅蓮の炎に包んだ明暦の大火

明暦1.jpg
1657(明暦3)年1月18日は、延焼面積・死者ともに江戸時代最大といわれる明暦の大火が起きた日。
火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば日本史上最大のもので、江戸城外堀から内側のほぼ全域、そして大名屋敷から市街地の長屋まで大半が焼失してしまいました。
この火災により江戸城も焼失し、死者が10万人にもおよんだそうです。

世界三大大火の一つ「明暦の大火」
ロンドン大火、ローマ大火、そして明暦の大火が世界三大大火と呼ばれているそうです。
この年は、前年の11月から80日以上雨が降っておらず、乾燥した状態が続いており、さらに当日は辰の刻(午前8時頃)から北西の強風が吹いており、本郷丸山の本妙寺より出火した火が神田、京橋、隅田川対岸にまで一気に燃え広がります。
深川の霊巌寺では炎に追い詰められた避難民1万人近くが死亡、そして浅草橋では脱獄の誤報により役人が門を閉ざしたため、逃げ場を失った2万人以上が犠牲となってしまいます。

将軍輔佐役(大政参与)保科 正之(ほしな まさゆき)の優れた采配
明暦の大火時、4代将軍家綱の輔佐役であった保科 正之。彼は初代会津藩主であり、NHK大河ドラマ・八重の桜で有名になった『会津家訓十五箇条』を定めた名君としても有名。
正之は消失した江戸城の再建を第一に考える重臣たちの考えを退け、焼け出された庶民救済に尽力を尽くしま
す。多くの死傷者を出した隅田川には両国橋を新設し、主要道の道幅を拡幅。そして火除け空き地として各地に広小路を設置(現 上野広小路)等、江戸の防災性を向上させました。

焦土の街を復興させた江戸庶民の活力
江戸の大半を焦土と化した明暦の大火。しかしこれを契機に大規模な復興作業が進められ、それまでの上方文化が一掃され、江戸独自の華やかな文化が幕を開けます。
そして江戸庶民は、士農工商という封建身分制度のはけ口に、遊里や歌舞伎といった享楽の世界を求めだし、洒落本や狂歌本、浮世絵が誕生するのです。

阪神淡路大震災から20年。天災は防ぐことができないですが、人智によって軽減させることは可能でしょう。
300年前の江戸で起こった大惨事。再建までの苦労は計り知れないものですが、当時の人々の人智と活力には脱帽ですネ。

明暦の大火といったら、深作欣二監督の「魔界転生」
明暦2.jpg

明暦3.jpg
明暦の大火の紅蓮の炎に包まれた江戸城天守閣で対決する、柳生十兵衛三厳(千葉真一)と天草四郎時貞(沢田研二)。二人ともカッチョエ〜〜ですネ!!




posted by ツルカメ at 22:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。