2015年03月14日

家持が言霊に秘めた「海ゆかば・・・・・・」

万葉.jpg
昨日、ニュース等で流された海底に沈んでいる「戦艦武蔵」の動画を見ていたら、先日読み終えたばかりの、篠崎紘一の「大伴家持伝 ー言霊ー」を思い出しました。

「言霊」は大伴家持が「万葉集」を編纂するにあたっての、波乱の生涯を綴った物語です。
その万葉集の巻十八(4094番)に家持が詠った「「陸奥の国に金を出だす詔書を賀く歌」という長歌の中に、軍歌として有名な
海行かば 水漬く屍 
山行かば 草生す屍 
大君の 辺にこそ死なめ 
かへり見は せじ

が納められています。
「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、天皇のためにこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」
武蔵が海底に沈没して71年。乗組員の屍はないものの、そこには物言わぬ英霊たちの魂がまだ留まっているようです。

大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり軍事を司る氏族で、今でいう天皇を守る近衛師団のようなものでした。そして万葉集の変遷で知られている大伴家持は、歌人でもありまた天皇を守る軍隊の一族である大伴氏の長でありました。
巻十八の長歌は、奈良の大仏建立にあたり、聖武天皇が念願の大仏が完成することを喜び、天皇家を代々守ってきた大伴・佐伯両氏に感謝の詔書を出され、それに感激した家持が「海行かば」の短歌を入れ込んで詠んだ歌になります。

武人でありながら「言の葉」の霊力で権力者と戦い、民を守ってきた家持。
「万葉集」の中には、時の権力に逆らった罪人や防人の人々の詠んだ歌も多く入っています。
防人に 行くは誰が背と問ふ人を 見るが羨しさ物思ひもせず
「防人として北九州に行くのは誰のご主人かしら?」と周囲の人たちが言っているのがもどかしい。私の愛しい夫が、防人として行ってしまうこの切ない気持ちも知らないで・・・・・・」

軍隊の長でありながら、防人として戦地へ送り込まれる人々への哀れさも感じとっていた家持。
だが彼自身も桓武天皇との確執によって政権争いに破れ、死後には反逆罪の汚名をきせられ、埋葬も許されず、官籍からも除名され、子の永主も隠岐国に配流となってしまいます。

万葉集は完成するまでには、家持の父である「大伴旅人」と親子2代40年もの歳月を要し、またその万葉集を天皇が公式に国書として認めるまでには、さらに35年という年月がかかっています。

「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」として名付けられた「万葉集」。
その名のとおり、家持の残した「言の葉」の霊力は「言霊」となり現代人の心にも受け継がれているでしょう。




posted by ツルカメ at 22:23| Comment(0) | 本のはなし・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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