2015年09月05日

外交に命を賭した男

ポーツマス1.jpg
吉村昭の「ポーツマスの旗」

ポーツマス2.jpg
日露戦争の後始末のため、日本全権となって奮闘した外相 小村寿太郎
明治38年(1905年)7月、日露戦争にてアジアの小国日本が超大国ロシアに圧倒的勝利したことで、日本国民が狂喜している中、悲壮な面持ちでポーツマス会議日本全権としてアメリカへ渡航する小柄な男。
多くの歓喜の声に見送られながらも、「自分が帰って来る時には、この人気は丸で正反対になっているでしょう」と時の総理 桂太郎につぶやきます。
それが講和全権として大国ロシアとの交渉に挑む、外務大臣 小村寿太郎でした。

日本国民の多くは、ロシアに圧倒的な勝利をしたことで多額の戦争賠償金が貰えると狂喜していましたが、現状は金も武器、弾薬も底をつき、経済も破綻寸前でこれ以上の戦争継続は不可能な状態。
対するロシアは、「たかだか小さな戦闘において敗れただけであり、ロシアは負けてはいない。まだまだ継戦も辞さない」と強気の姿勢。
寿太郎には何がなんでも講和条約を結ばなければなりませんでした。
度重なる談判の末、日本に樺太の南部を割譲するものの、戦争賠償金には一切応じないというロシア側の最低条件で交渉は締結。
1905年(明治38年)9月4日(日本時間の9月5日)、こうして日露戦争終結のポーツマス条約が110年前の今日、結ばれました。

日本の数百年先を見越し、交渉妥結に命を燃やした小村寿太郎。
しかし寿太郎が危惧していたとおり、国民からは「屈辱外交」と非難罵倒され、調印式の9月5日、東京では戒厳令がひかれる暴動が勃発・・・・・・・。
日本が近代国家への道を歩みだした時に、自ら悪者となり日本の国を守るために奮闘した真の政治家の姿がここにあります。

司馬遼太郎は、日露戦争において日本軍の勝利に貢献した、秋山兄弟を主人公とした「坂の上の雲」を書きました。そして吉村昭は日露戦争の後始末に奮闘する小村寿太郎を小説にしましたが、そこに吉村昭の人間性を強く感じさせてくれる作品です。




posted by ツルカメ at 22:53| Comment(0) | 本のはなし・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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