2016年10月18日

アルコール依存症で死んだ小早川 秀秋

大谷.jpg
浮世絵:月岡芳年 「魁題百撰相 金吾中納言秀秋」
大谷刑部の祟りに怯える秀秋

関ヶ原の戦いで、豊臣家を滅亡に追い込んだキーパソンともいえる小早川秀秋(こばやかわひであき)。
彼は慶長7年の10月18日、21歳という若さで急死いたします。
その死があまりにも急であったため世間では、合戦の際に秀秋の裏切りにより自害した大谷刑部(おおたにぎょうぶ)の祟りによって狂乱のはて死亡したという噂が広がりました。
実際に大谷刑部は自害する際に、秀秋の陣地に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と叫びながら切腹したとか・・・・・・。

それにしても月岡芳年が描いた大谷刑部の「恨めしい」顔は恐ろしいですネ〜。
大谷刑部といえば、白頭巾で顔を隠した戦国武将というイメージですが、若い頃から難病(ハンセン病または梅毒)で苦しんでおり、くずれた顔が一段と恐怖を煽ります。
秀秋もさぞかし恐ろしかったでしょうね。

でも秀秋の実際の死因は、幼い頃からの酒の飲み過ぎによるアルコール依存症が原因だそうです。
TVなどで描かれる秀秋は、ほとんどが優柔不断な武将のイメージですが、後世において、こんな風に語り継がれるのも、ちょっと可哀想ですね。





posted by ツルカメ at 16:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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