2016年05月29日

動物園で人気者だった像が死んだ時・・・・・・

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今月の26日、69年の天寿を全うしたゾウの「はな子」。
死因は解剖の結果、呼吸不全だったとか。
高齢のため自力で立つことができなくなり、両方の肺が体重で圧迫されたことが死因のようです。

はな子の遺体は、研究のため上野の国立科学博物館に寄贈されたそうです。
動物園などの大型動物が死んだ場合、まず最初に解剖され死亡原因等を究明。そして稀少動物並びに特に縁が深かった動物に関しては「剥製保存」または「骨格保存」の措置が施されるそうです。
「はな子」はどおなるのでしょうか・・・・・。

昔読んだ「世界の日本人ジョーク集」という本のなかに、こんな日本へのジョークがありました。

動物園で人気者だった像が死んだ時、

フランス人:像の思い出を詩にしたため涙した。
中国人:巧みに料理して食べた。
日本人:一生懸命、額に汗しながら像を埋める為の墓を掘った。


律儀な日本人へのジョークですネ。
ちなみに大型動物は、かわいそうですが解体され火葬にされるそうです。

フランス人のように「はな子」の死を悼み、彼女のために詩を詠んであげたいものです。



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2016年05月14日

眠れないほど面白い「古事記」・・・・・?

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『大人もぞっとする初版「グリム童話」』の著者 由良 弥生の、眠れないほど面白い「古事記」を読みました。
ウ〜〜ン!! 残念ながら眠れないほど面白くはありませんが・・・・・・。
サブタイトルに「愛と野望、エロスが渦巻く壮大な物語」とありますが、たしかに話の内容は神様たちの醜い陰謀と、エロスのお話ばかり。
古事記を知るきっかけにはなるかもしれませんが、もうちょい深く読み解いてくれていたら良かったのですが。
ただ原文の古事記の内容もこんなものかもしれませんが・・・・・・・・。

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浮世絵:歌川国芳作 「須佐之男命」

古事記といったら、和歌の始まりとされる有名な歌
八雲立つ 出雲八重垣 
妻籠みに 八重垣作る その八重垣を


この歌は高天原で悪行を重ねた須佐之男命(すさのおのみこと)が、天照大神(あまてらすおおみかみ)に追放され出雲の国に降り立ち、その地で八俣の大蛇から櫛名田比売(くしなだひめ)を救い、姫を妻に得て新婚の宮を建てた時に詠んだとされています。

「やくも立つ いづもやへがき つまごみに 八重垣作る その八重垣を」

雲が湧き出るという名の出雲の国に、八重垣を巡らすように、雲が立ちのぼる。
妻と一緒に、私は宮殿に何重もの垣を作ったけど、ちょうどその八重垣を巡らしたような雲が・・・・。

八俣の大蛇を退治して櫛名田姫を得た須佐之男命。妻と共に新婚の宮を造るべき土地を求め出雲の国をさすらい、須賀の地に宮を建てます。
荒くれ者であった須佐之男命も最愛の妻を娶り、心穏やかな日々を過ごしたのかも知れません。

ちなみに八俣の大蛇を退治した際に、その尾っぽから出てきたのが草那芸之大刀(くさなぎのたち)。
須佐之男はこの太刀を天照御大神に献上し、それが古代天皇の権威たる三種の神器の一つとなります。
神話の記述の通りであれば、今は熱田神宮の奥深くに神体として安置されているそうですが・・・・・。

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2016年04月02日

大人の絵草紙「マッチ売りの少女」

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今日は「国際こどもの本の日」。
1805年4月2日にデンマークの童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが生まれたことにちなんで制定されたそうです。
アンデルセンといったら、「人魚姫」「裸の王様」「みにくいアヒルの子」
「マッチ売りの少女」等の名作を数多く生み出しました。
中でも「マッチ売りの少女」は何度読んでも泣いてしまいます・・・・・。

でも今日ご紹介する「マッチ売りの少女」はアンデルセンではなく、文/野坂昭如+絵/米倉斉加年が描いた「大人のための絵本・マッチ売りの少女」です。
戦後の焼け野原の荒んだ社会に生きる、主人公「お安」。
汗と泥にまみれた半天一枚、半分ぬけ落ちたざんばら髪に、枯れ枝のように痩せこけた体。
姿かたちは老婆だが、まだ二十四歳のお安。
マッチ1本すっては、その灯りで自分の股間を見せ、お金を稼ぐお安。
身も心もボロボロになりながらも、この世は非情。
マッチの火で股間に温もりを感じていたお安だが、ボロボロの半天に火がうつり、
やせこけた体はマッチのように燃え盛る・・・・・・・。

アンデルセンの少女は、やさしい祖母の幻影に導かれ、天へ導かれました。

しかし、お安が見た灯りは漆黒の常闇・・・・・・。

悲しく、哀しく、残酷なお話です。

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2015年12月03日

「おやすみロジャー」の効果はいかに・・・・・・?

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テレビや新聞等で話題の、子供の寝かしつけ絵本「おやすみロジャー」を、なかなか寝てくれない孫のために購入。

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最初にこの本の読み方についての「注意事項」が記載されています。
車を運転している人のそばで絶対に読んではイケナイそうです!!
〈オソロシ〜〜〜〉
そしてかなり読み手の技量いかんで、効果は変わるようで、「催眠術」のように言葉の抑揚の付け方がポイントかも!

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絵よりも読み聞かせが主体なのでしょうが、ちょっと不気味なタッチの絵です。

まだ試していませんが、読むのがちょっと大変そおですね。
どおせならCD付きにしてくれたらよかったかも・・・・・(ダメですかね!?)

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2015年11月06日

江戸時代のスーパー・ファンタジーノベル!!

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浮世絵:歌川国芳 本朝水滸傳豪傑八百人一個
         里見八犬子の内犬塚信乃戌孝

今日11月6日は『南総里見八犬伝』で知られる読本作者の「曲亭馬琴」の命日「馬琴忌」です。
南総里見八犬伝は文化10年(1813)から天保12年(1841)にいたる足掛け29年を費やして完成した、全98巻の大長編読本。
恐ろしい怨霊や、仙人、そして滅法強い豪傑たちの勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の痛快ドラマであり、さながら江戸時代のスーパー・ファンタジーノベルといったところでしょう。
『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの玉を持った剣士たちが、南総里見家復興のため永く過酷な旅へ向かうのであります・・・・・・・・。

上の歌川国芳の絵は、芳流閣(ほうりゅうかく)の屋根の上で、戦う「犬塚信乃」と「犬飼見八」を描いたもので、八犬伝屈指の名場面です。
「犬塚信乃」も「犬飼見八」もお互いが「玉」に結ばれた義兄弟とも知れずに、取っ組み合う場面を描いた国芳ならではの力強い構図の絵です。

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浮世絵:月岡芳年 芳涼閣両雄動

そしてこちらが芳年が描いた、芳流閣の決闘の場面。
「犬塚信乃」「犬飼見八」の両雄が屋根の上で、睨み合う緊迫した一瞬を描いたものですが、この後二人は組み合ったまま屋根から転げ落ち、利根川に落ちてしまいます。まさに「静」から「動」への動きを見事に描いた作品です。

これぞ名刀、村雨丸(むらさめまる)・・・・・
    「抜けば玉散る氷の刃(やいば)」

そして「八犬伝」には、刀剣好きにはたまらない数々の名刀、妖刀も登場します。
主人公的な犬塚 信乃 戍孝(いぬづか しの もりたか)の佩刀する太刀は、足利家の宝刀・村雨丸。
刀のつけ根(なかご)から露を発生させ、振りかぶれば切っ先から水玉が溢れだし、人を斬ると勢いよく流れ刃の鮮血を洗いおとしてしまいます。
そして敵が焚く篝火を消したり、山火事を鎮めたりと犬塚信乃を助けます。

この他にも、「落葉(おちば) 」「桐一文字(きりいちもんじ) 」「木天蓼丸(またたびまる)」「鉄切り(くろがねぎり) 」「若鮎(わかあゆ)」等々・・・・・・・・。

秋の読書週間。もう一度、読み直したい本ですネ!


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2015年09月05日

外交に命を賭した男

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吉村昭の「ポーツマスの旗」

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日露戦争の後始末のため、日本全権となって奮闘した外相 小村寿太郎
明治38年(1905年)7月、日露戦争にてアジアの小国日本が超大国ロシアに圧倒的勝利したことで、日本国民が狂喜している中、悲壮な面持ちでポーツマス会議日本全権としてアメリカへ渡航する小柄な男。
多くの歓喜の声に見送られながらも、「自分が帰って来る時には、この人気は丸で正反対になっているでしょう」と時の総理 桂太郎につぶやきます。
それが講和全権として大国ロシアとの交渉に挑む、外務大臣 小村寿太郎でした。

日本国民の多くは、ロシアに圧倒的な勝利をしたことで多額の戦争賠償金が貰えると狂喜していましたが、現状は金も武器、弾薬も底をつき、経済も破綻寸前でこれ以上の戦争継続は不可能な状態。
対するロシアは、「たかだか小さな戦闘において敗れただけであり、ロシアは負けてはいない。まだまだ継戦も辞さない」と強気の姿勢。
寿太郎には何がなんでも講和条約を結ばなければなりませんでした。
度重なる談判の末、日本に樺太の南部を割譲するものの、戦争賠償金には一切応じないというロシア側の最低条件で交渉は締結。
1905年(明治38年)9月4日(日本時間の9月5日)、こうして日露戦争終結のポーツマス条約が110年前の今日、結ばれました。

日本の数百年先を見越し、交渉妥結に命を燃やした小村寿太郎。
しかし寿太郎が危惧していたとおり、国民からは「屈辱外交」と非難罵倒され、調印式の9月5日、東京では戒厳令がひかれる暴動が勃発・・・・・・・。
日本が近代国家への道を歩みだした時に、自ら悪者となり日本の国を守るために奮闘した真の政治家の姿がここにあります。

司馬遼太郎は、日露戦争において日本軍の勝利に貢献した、秋山兄弟を主人公とした「坂の上の雲」を書きました。そして吉村昭は日露戦争の後始末に奮闘する小村寿太郎を小説にしましたが、そこに吉村昭の人間性を強く感じさせてくれる作品です。


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2015年06月20日

「冒険の森へ」創刊記念スペシャルトークショーへ・・・・・

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今日は久々に新宿まで、「集英社創業90周年企画ー冒険の森へー」創刊記念のトークショーへ行ってまいりました。間近で見る[北方謙三、逢坂剛、大沢在昌、夢枕獏]にはワクワクドキドキでしたね。
自称 編集委員長の北方謙三と大沢在昌の漫才コンビのような遣り取りや、剽軽な夢枕獏、紳士的な逢坂剛による選考時の話など、なかなか面白いお話でした。

そして編集委員でありながら今年4月に亡くなった船戸与一の想い出話にはジ〜〜ンときましたネ!
1992年「砂のクロニクル」で船戸与一が第5回山本周五郎賞に選ばれた時、選考委員であった逢坂剛が、委員長の井上ひさしにトイレの中で、「砂のクロニクルが山本周五郎賞になりたいのではなく、山本周五郎賞が砂のクロニクルになりたいのだ!!」と叫んだそうです。
イ〜〜イ話ですネ!!
できれば今日、このトークショーで元気な船戸与一の話を聞きたかったナ〜〜。
ちなみに船戸与一が編集委員として選んだ作品は、大藪春彦の「野獣死すべし」だそうです。

おまけに、久々に新宿に来たので、歌舞伎町のゴジラに会ってきました。
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2015年06月19日

今日は太宰治の誕生日、「桜桃忌」

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今日は、作家 太宰治の誕生日。そして1948年のこの日、6月13日に玉川上水で入水心中した太宰の遺体が発見された日。

太宰といえば先日、古本屋で購入した「ビブリア古書堂の事件手帖」を詠み終えたばかり。 第四話は太宰治の『晩年』にまつわるお話です。太宰の処女作品集なのになぜタイトルが「晩年」なのか・・・・・。それは自殺を前提に遺書のつもりで書き綴ったからだそうです。
本書の中に、主人公の栞子(しおりこ)さんの愛蔵している、「晩年」の太宰本人のサイン入り初版本が登場します。そして彼女はこの初版本に3百50万円の値札を付けて店頭に飾るのですが・・・・・・・。
表紙絵とライトノベルということで読むのを躊躇していましたが、なかなか面白かったです。古書好きにはたまりませんネ!

はずかしながら太宰の作品は「走れメロス」とこの「晩年」しか読んだことがありません。
「晩年」の初版本の復刻版は5、000円くらいから手に入るので、さっそく買ってまた読んでみたくなりました。



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2015年05月30日

円周率を計算した男

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和算の奥深さを堪能!
今日ご紹介する1冊は1998年発行の鳴海 風(なるみ ふう)、「円周率を計算した男」。
主人公は映画「天地明察」にも登場した算聖と謳われた和算家「関 孝和」の高弟「建部 賢弘(たけべ かたひろ)」。
西洋では16世紀後半頃から研究が始まった「円周率」。そして1876年、ニュートンが14桁の計算に成功した頃、日本では鎖国状態でありながら、全く独自の方法で円周率の計算に人生を賭けた男たちがいました。

そもそも円周率とは何か
数学が苦手な私には、「円周率とは何か?」と問われても「3.14・・・・?」としか答えることができません。そもそも円周率とはどのような半径の円もすべて相似で、「円周の長さ÷直径の長さ」はすべて同じ数値になる。これが円周率の定義とか・・・。
今ではコンピュータを使って小数点以下5兆桁まで計算されているそうですが、建部 賢弘たちの江戸時代では円に内接する正多角形を用い、円に限りなく近似させていく方法を用い、円周率を41桁まで正しく求めたそうです。これは世界的に見ても凄いことで、イギリスの数学者がこの方法にたどり着いたのは数十年後だそうです。

和算の奥深さを堪能
和算と聞いて想い出すのは小学校で習った「鶴亀算」。
「ツルとカメが合わせて8匹、足の数が合わせて26本であるとき、ツルとカメは何匹(何羽)いるか?」
懐かしいですネ。
江戸時代後期は日本中で和算ブームが起こり、この鶴亀算の他にも「旅人算、ねずみ算、盗人算、おとり算、俵杉算、味噌たく算・・・・・・」等、ユニークな和算が数々生まれました。

侍でありながら刀ではなく、算盤に帳簿を手にして奮闘していた男たちの熱い戦いのドラマ!
久々に勉強になり面白く堪能できた、時代小説でございました。


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2015年04月24日

船戸与一「人間は観念で殺人を犯す生き物」

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冒険小説の旗手であり直木賞作家の船戸与一さんが、今月22日胸腺がんのため死去。
残念でなりませんネ・・・・・・。
血湧き肉躍る「冒険小説」から日本周辺の近代史等、幅広いジャンルを執筆されていた船戸さん。
船戸さん独自の「正史」と「叛史」という理念から、描かれる正史の隅に追いやられた負け犬たちが、強者に立ち向かってゆく姿は実に感動的です。

現代のモンテクリスト伯!
生きながら亡霊となった男の
壮絶な生き様と復讐劇。

私が最初に読んだ船戸さんの小説がこの「猛き箱船」。作家 夢枕獏さんが自分の小説のあとがきに、「今最高にオモシロイのは船戸与一だ!」と書いてあったのを読んで、数十年前に本屋さんで購入しました。

街のチンピラ香坂は、派手な人生を送りたいと海外での傭兵に志願。しかし仲間の裏切りにあい、ポリサリオ解放戦線の捕虜になってしまう。そこから香坂の凄惨な復讐劇が始まります。
船戸与一だからこそ描ける、骨太の物語。
たしかに代表作である「山猫の夏」や「砂のクロニクル」はおもしろいですが、個人的にはこの「猛き箱船」がイチバンですね!

以前、新聞で船戸さんが語っていた「人の過激な行動を支えるのは、人でなければ持ち得ない観念である。動物は腹が減らなければ、獲物を襲わない」という記事を読んだことがあります。
世界の紛争地帯で起こる、観念の暴力。船戸さんにはまだまだこの手の小説を描いてもらいたかったです・・・・。




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2015年03月14日

家持が言霊に秘めた「海ゆかば・・・・・・」

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昨日、ニュース等で流された海底に沈んでいる「戦艦武蔵」の動画を見ていたら、先日読み終えたばかりの、篠崎紘一の「大伴家持伝 ー言霊ー」を思い出しました。

「言霊」は大伴家持が「万葉集」を編纂するにあたっての、波乱の生涯を綴った物語です。
その万葉集の巻十八(4094番)に家持が詠った「「陸奥の国に金を出だす詔書を賀く歌」という長歌の中に、軍歌として有名な
海行かば 水漬く屍 
山行かば 草生す屍 
大君の 辺にこそ死なめ 
かへり見は せじ

が納められています。
「海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、天皇のためにこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」
武蔵が海底に沈没して71年。乗組員の屍はないものの、そこには物言わぬ英霊たちの魂がまだ留まっているようです。

大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり軍事を司る氏族で、今でいう天皇を守る近衛師団のようなものでした。そして万葉集の変遷で知られている大伴家持は、歌人でもありまた天皇を守る軍隊の一族である大伴氏の長でありました。
巻十八の長歌は、奈良の大仏建立にあたり、聖武天皇が念願の大仏が完成することを喜び、天皇家を代々守ってきた大伴・佐伯両氏に感謝の詔書を出され、それに感激した家持が「海行かば」の短歌を入れ込んで詠んだ歌になります。

武人でありながら「言の葉」の霊力で権力者と戦い、民を守ってきた家持。
「万葉集」の中には、時の権力に逆らった罪人や防人の人々の詠んだ歌も多く入っています。
防人に 行くは誰が背と問ふ人を 見るが羨しさ物思ひもせず
「防人として北九州に行くのは誰のご主人かしら?」と周囲の人たちが言っているのがもどかしい。私の愛しい夫が、防人として行ってしまうこの切ない気持ちも知らないで・・・・・・」

軍隊の長でありながら、防人として戦地へ送り込まれる人々への哀れさも感じとっていた家持。
だが彼自身も桓武天皇との確執によって政権争いに破れ、死後には反逆罪の汚名をきせられ、埋葬も許されず、官籍からも除名され、子の永主も隠岐国に配流となってしまいます。

万葉集は完成するまでには、家持の父である「大伴旅人」と親子2代40年もの歳月を要し、またその万葉集を天皇が公式に国書として認めるまでには、さらに35年という年月がかかっています。

「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」として名付けられた「万葉集」。
その名のとおり、家持の残した「言の葉」の霊力は「言霊」となり現代人の心にも受け継がれているでしょう。


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2014年11月15日

坂本竜馬は英雄なのか・・・・

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慶応3年11月15日、京都河原町の蛸薬師にて、突然の侵入者に額を深く斬られ、即死に近い状態で絶命した坂本竜馬。満31歳という若さで、この世を去った幕末の英雄。
竜馬といったら、やはり司馬遼太郎の代表作「竜馬がゆく」を思いだします。
学生時代は、この「竜馬がゆく」と新田次郎の「孤高の人」が私にとってのバイブルで、とくに司馬遼太郎の描く竜馬像には感化されたものでした。

竜馬は幕末の英雄なのか
「竜馬がゆく」は1962年から66年までの4年間、産経新聞に掲載されたもので、現在においても単行、文庫本ともに改版されている超ベストセラー小説。学生時代は無我夢中で読みふけり、「坂本竜馬」=「幕末の英雄」というイメージが自分の頭の中で膨らんでいましたが、いつ頃からか、その竜馬像のイメージに疑問を持ち出すようになりました。

フィクションとノンフィクションのはざま
司馬遼太郎の描く歴史観において、専門家の間では「司馬史観」とし論争の対象となることがあります。
司馬自身も自分の作品はフィクションであり、ノンフィクションではないと言ってはおりますが、やはり世間一般でイメージされる竜馬像は司馬の描いた「竜馬がゆく」の竜馬であることは否めない事実でしょう。

歴史の真実から見る竜馬像
竜馬が起草したといわれる「船中八策」も近年の研究で、竜馬が書いたものではないというのが濃厚のようであり、また竜馬が万国公法を基に紀州藩と裁判を起した「いろは丸沈没事件」も、あきらかに非があるのは海援隊の「いろは丸」の方であるとか・・・・。
また「竜馬がゆく」の中に登場する、座右の銘である「世に生を得るは、事をなすにあり」という言葉も、竜馬が言った言葉ではないとか・・・・。

あくまでも司馬遼太郎が言うように、小説はフィクションであるということを踏まえて、冷めた眼で読む事も必要であると痛感する今日この頃でございます。
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2014年10月30日

不屈の逃亡者、高野長英!

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江戸時代後期の医者、蘭学者であった高野長英。
彼は、日本人漂流民の送還のために訪れたアメリカ商船「モリソン号」に対して、薩摩藩及び浦賀奉行が砲撃を行なった無謀な行為(モリソン号事件)を、痛烈な批判を込めて『戊戌夢物語(ぼじゅつゆめものがたり)』という本に著します。
そして天保十年、この本が幕府を批判したという罪で、長英は江戸小天馬町の牢に投獄されてしまいます(蛮社の獄)。5年後、長英は牢に火を放って逃亡。ここから全国を転々と逃げ歩いた長英と、それを追う幕史たちのすさまじい駆け引きが幕を開けます。
吉村 昭の「長英逃亡」は、破牢から逮捕までの約6年間を、綿密な資料を駆使し、絶妙の筆致で描いた吉村文学の代表作です。
追手の目から逃れるため、硝酸で顔を焼いて人相を変えた長英。その凄まじい生き様を「破獄」「仮釈放」等で数々の賞を受けた吉村 昭が、追う者と追われる者の心理を鋭く描いています。
逃亡から6年、 嘉永3年10月30日、江戸の青山百人町に潜伏したいたところを密告され、幕史に踏み込まれ、長英は短刀を振るって奮戦した後、喉を突いて自害。享年47歳。

上の浮世絵は三代目 歌川国貞「豊斎(ほうさい)」作の「高野長英 市川左団次」。
初代市川左團次の似顔絵を得意とした国貞の歌舞伎「水沢の一夜」の絵です。
歌舞伎の演目「水沢の一夜」は壮絶に生きた蘭学医・高野長英の涙と感動の幕末秘話でございます。
逃亡中、生まれ故郷の水沢へ、母と娘に逢いに行く長英。しかしそこに待ち受けていたものは・・・・・
初代市川左團次が演じる、心温まる母子の情の哀しい物語・・・・・!


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2014年09月20日

世界のUTAMARO

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浮世絵:喜多川歌麿 「合わせ鏡のおひさ」
葛飾北斎と並び、国際的に有名な「UTAMARO」こと浮世絵師、喜多川歌麿。
安永4年(1775)北川豊章の画名で浮世絵界にデビューし、天明2年(1782)喜多川歌麿に改名。
版元蔦屋重三郎と組んで刊行した美人大首絵シリーズで、美人画絵師歌麿の名を江戸中に轟かせます。
しかし晩年は幕府が禁忌とする「太閤記」関係の錦絵「太閤五妻洛東遊観之図」を制作したことにより、入牢3日、手鎖50日の刑にあい、その2年後の文化3年9月20日、失意の内に54歳でその生涯の幕を閉じます。
現代においても浮世絵、艶本の第一人者であり、その肉筆画や春画は今でも世界的に「UTAMARO」の名で異彩を放ち続けています。

しみじみとした、男の情と女の性
今日の1冊は藤沢周平の喜多川歌麿女絵草紙 。
歌麿と浮世絵のモデルになった女たちとの、しみじみとした大人の男と女のお話しです。
藤沢文学らしい、とっても沁みる話しです。

ちなみに上の浮世絵は、寛政の三美人のひとり「高島屋おひさ」を描いた絵です。モデルとなった「おひさ」を正面ではなく後から描くことによって、合わせ鏡に写る憂いをおびた顔と、襟足のゾクリとする色香を強調した構図は見事としか言いようがありませんネ。
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2014年09月16日

神のみぞ知る・・・・。

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1998年発行のマイクル・コーディ作「イエスの遺伝子」。
まったく無名の新人作家の処女長編小説ですが、現代の最先端科学と、キリスト教の救世主復活の予言が巧みに絡み合った、読みごたえのある本です。
帯にある瀬名秀明さんの推薦文にあるとおり、よくあるくだらない遺伝子スリラーとは違います。

本書を初めて読んだ時は、まだ米国主導で始まったヒトゲノム解析計画は進行中の時でした。そして今、お騒がせ中の日本の理化学研究所が開発した装置・次世代シーケンサーの登場により、12年かかっていた遺伝子配列解析が、たった1日で解析できるようになり、2003年にヒトゲノム計画は完了。今ではネットで検査キットを注文して、何万円かで将来発症する病名がわかってしまう時代に・・・・。

これは果たして人類にとって幸せなことなのか。そんな想いで、本書を再読してみました。
物語では、奇跡的な治癒能力を持つイエス・キリストの遺伝子「ナザレの遺伝子」という、ちょっと荒唐無稽な万能遺伝子が登場。主人公である遺伝子学者はこの「ナザレの遺伝子」を用い娘の命を助けます。しかし万能の神となった彼は、その奇跡の治癒能力をもった遺伝子が世界中に蔓延するのを阻止しようとします。

もし誰もがみな病を治療でき、自然な病気で死ぬことがない世界が誕生したら。
世界の人口は膨らみ上がり、土地はなくなり、食料もなくなる。
そして生命に対して、あるいは死に対して敬意が払われることもなく、神もいない。
そこには苦しみばかりの「長い人生」という地獄があるばかり。

彼はそのことに気づきます。

遺伝子検査がもたらす功罪とは何か・・・・・・・。
人の運命とは「神のみぞ知る」。 それでも良いのではないでしょうか。
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2014年08月04日

妖し、恐ろし、美しき絵物語。

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夢枕 獏の人気シリーズ「陰陽師」の絵物語版、「瘤取り清明」。
和紙による美しい装丁、村上豊さんが描く剽軽ながら哀愁の漂う魑魅魍魎たち。
そして夢枕 獏のデビュー作である「カエルの死」を彷彿させる斬新なタイポグラフィカルアート。まるで平安時代の絵巻物のような本作は、民話「瘤取り爺さん」をベースにした、ご存知「安倍晴明」と「源博雅」が活躍するお話。

瘤取り爺さんといったら、宇治拾遺物語の「瘤とりの翁」や太宰治の「お伽草子/瘤取り」等、様々に脚色されたものがあり、日本のみならず世界中に似たような話しがあるそうですが、「もの羨みは 狭じき 事なりとか」で「欲のない者が得をし、欲張りが損をする」という教訓話しです。

夢枕 獏版「瘤取り清明」は、鬼によって左右の頬に瘤をつけられてしまった翁らの嘆願によって、対策にのり出す清明と博雅。
今までの「陰陽師」シリーズにみられるオドロオドロしさはなく、飄々とした清明と、ユーモラスな鬼や魍魎たちとの洒脱な駆け引きが最高です。

そして、鬼たちの願いで奏でる博雅の笛の音は、ゆるゆると天に登り、月の光に昇華してゆき、その妙なる調べに鬼哭啾々する、鬼や魑魅魍魎たち。
彼らは翁の瘤と引き換えに、博雅の笛の音によって自分らが生者であった時の一時の安らぎを手に入れるのです。

読んで良し、見て良し、手にとって良し。電子書籍では味わうことができない、本の醍醐味を知らしめてくれる一冊です。

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2014年07月10日

唸るネリョチョギ!! 今度は戦争だ・・・・・!

毒猿.jpg
大沢在昌のハードボイルド長編刑事小説シリーズ「新宿鮫」も、短編集をのぞけば「絆回廊」で10冊目となりました。
「新宿鮫」シリーズだけは、毎回ハズレなしで楽しめる最高のホードボイルド小説。
中でもこの2作目の「毒猿 新宿鮫U」は何度読み直しても面白い最高傑作!!
まさに大沢ハードボイルド小説の頂点です!

「今度は戦争だ!」 
日本ヤクザ・台湾マフィア VS 孤高の職業兇手

1990年に発表した「新宿鮫」が〈このミス〉で見事1位に輝き、おまけに第44回日本推理作家協会賞、第12回吉川英治文学新人賞をダブル受賞した大沢氏。
2作目を書くにあたって、映画「エイリアン2」の宣伝文句である「今度は戦争だ!」というキャッチコピーに「ピン!」ときたそうだ。
そして出来あがったのがこの「毒猿 新宿鮫U」。

3人の漢(おとこ)達の熱い矜持
キャリアからはじかれた一匹狼の「鮫島」。 台湾から昔の同僚を追いかけて来た刑事「郭栄民」。そして台湾で職業兇手(ヒットマン)として恐れられた「毒猿」こと劉鎮生。
出逢うことがない3人の漢達が、やがて新宿という特異な場所で繋がっていきます。
かつて台湾陸軍の軍人で、金門島を守備する特殊部隊〈水鬼仔・ツイクイア〉に所属し、跆拳道の達人であった郭と劉。そして1人は刑事に、1人は狙った相手は必ず仕留める「毒猿」と呼ばれる職業兇手に・・・・・・・・。

史上最強のクールな殺し屋
本書の魅力は、なんといっても主人公「鮫島」を上回るクールな殺し屋「毒猿」。
ナイフ、サブマシンガン、ブービートラップ、そして跆拳道必殺の「ネリョチョギ(踵落とし)」を駆使し、愛する人を殺された復讐のためにたった1人、日本ヤクザと台湾マフィアが待ち受ける新宿御苑 台湾閣へ・・・・・・・。

派手なアクション、銃撃戦、殺戮シーンとド派手な演出満載だが、「新宿鮫」独特のリアリズムが一級のフィルム・ノワールを観ている気分にしてくれます。
自分の手で、職業兇手となった昔の同僚を捕まえようとする郭。
郭との約束を命をかけて守ろうとする鮫島。
そして復讐のため鬼と化した劉。

ラストはもう涙、涙の漢泣きでございます。

※「ネリョチョギ(踵落とし)」といえば、K-1の鉄人「アンディ・フグ」を想い出しますネ。

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2014年06月27日

雨晴れて、月朦朧の夜に・・・・・・・・・

雨月物語1.jpg
幻想、怪異、幽玄なる9編が織りなす怪異短編小説の傑作「雨月物語」。
今日6月27日は雨月物語の作者「上田秋成」の秋成忌。
江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人であり、この雨月物語によって新しい文学ジャンルを作り上げた功績は多大のものといえるでしょう。

「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」
「 青頭巾」「貧福論」の9編からなる雨月物語。

その中で今日ご紹介するのは巻之一の「白峰(しらみね)」。
崇徳院と西行の幽玄なる「歌詠み合戦」!
この物語は仁安3年(1168年)に西行が中四国への旅へ行った際、讃岐国の善通寺(香川県善通寺市)でしばらく庵を結び、旧主・崇徳院の白峰陵を訪ねてその霊を慰めたと伝えられるエピソードを題材に秋也が小説にしたためたものです。

保元の乱で、弟である後白河天皇に敗れ、讃岐国へ配流された崇徳上皇。せめて自分が写経したお経だけでも都の寺に納めたいと願いでるが、その願いも虚しくお経は全て送り返されてしまいます。
これに激怒した崇徳上皇は「魔王となってこの世を悩まし、乱してやろう」と、自らの指を食いちぎり、流れる血で呪いのことばを経に書き海に沈めます。その後、上皇は深い怨みを持ちながら、悲しみのうちに亡くなります。
その数年後、親交のあった西行が旅の途中に讃岐国へ訪れます。崇徳院の白峰陵で経を唱え、亡き崇徳上皇へ歌を詠む西行。
「松山の 浪のけしきは かはらじを かたなく君は なりまさりけり」
その時、異形の人影が表れ「松山の 浪にながれて こし船の やがてむなしく なりにけるかな」という返歌がかえってきました。
西行は、崇徳院が成仏せずに怨霊となっていることを咎め、西行と院の論争が始まります。 そして西行は院の浅ましい浅ましい姿を嘆き哀しみ、一首の歌を詠みます。
「よしや君 昔の玉の床とても かからんのちは 何にかはせん」
(天皇の身分など現世のもの。死んでしまえば、人はみな同じ。昔の身分や、怨みを忘れて、おだやかにお眠りください)
すると、院の顔が穏やかになり、段々と姿が薄くなり、消えていきました。

この世に未練を残し怨霊となりしモノと、それを救わんがとする人間との対話が
幽玄なる美の言葉となり、紡がれていく秋也の生んだ怪異文学の最高傑作です。

私の本は30年以上前に買った角川文庫の鵜月 洋 訳注のもので、読みやすくはないですが、原文にちかいものの方が読みごたえがあります。

「雨は霽れ月朦朧の夜、窓下に編成し、以て梓氏に畀ふ。題して雨月物語と云ふ」
序文に書かれた秋成の言葉です。

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挿絵は江戸時代の大坂の浮世絵師、桂眉仙。

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歌川国芳『百人一首之内』より「崇徳院」
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2014年05月08日

首切りに生涯を捧げた男たち・・・・

首切り1.jpg
画像は市谷監獄へ出仕する8代目 山田浅右衛門吉亮。
先月30日に永眠された渡辺淳一さんを偲んで、「項(うなじ)の貌(かお)」を再読。
本書は直木賞を受賞した、明治時代の西南戦争で負傷した2人の軍人の人生を描いた「光と影」をはじめ表題作の「項の貌」等、渡辺氏の医学的知識をバックボーンに描かれた6編からなる異色の歴史短編小説です。

首切り浅右衛門家に伝わる一門相伝の秘法「項の貌」
表題作の「項の貌」は江戸時代に御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主、山田 浅右衛門(やまだ あさえもん)のお話。死刑執行人も兼ね、処刑の際の首切りの役目を拝命したことから、首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門とも呼ばれましたが、山田 浅右衛門は山田家の当主が代々継いだ名称で、明治15年に斬首刑が廃止されるまで実に9代にわたって継がれました。
そして5代目 山田浅右衛門吉睦が6代目に伝えた「項に貌あり」という謎めいた言葉。 筆者である渡辺淳一氏はこの言葉とともに、千住回向院にある山田 浅右衛門の刀に疑問を抱きます。
その刀は500人もの罪人の首を切りながら刃こぼれがしていないというもの。
医学的に見て、太くて固い首の頸椎を500人も切ったら歯こぼれどころか、刀がガタガタになるはず。
そこで渡辺氏は、浅右衛門は骨を切らずに骨と骨の間にある推間板を切ったのではないかという推論に達します。しかしレントンゲンも無い時代に、首の後のこの部分を切るのは至難の技。 そして人骨模型を使ってあらゆる方法を探っているときに「項の貌」という言葉が頭をよぎります。
人骨模型で「項」と呼ばれる首の後部分を探っているときに、偶然にも頭蓋骨と第1頸椎のあいだで1直線になる位置を発見。 解剖学的には後頭頂部突起と呼ばれ、罪人が顎を突き出し、頭を後に引くと、皮膚の上からでも項部分に突起物が見れるそうです。
しかしその突起はわずが5mmにみたない隙間。 浅右衛門を継いだ山田家の男たちは、この5mmにみたない「項の貌」をめがけ刀を振り下ろしていたのかもしれません。

蜩(ひぐらし)や 地獄をめぐる油皿
これは4代目 山田浅右衛門吉寛の辞世の句。 なんとも壮絶な句です。
浅右衛門の名を継いだ者たちは、幼少から処刑場に連れていかれ、斬首シーンを見せられ恐怖心を克服させられたそうです。そして日々の鍛錬も過酷なものだったとか。 行灯の油皿の中で、炎に焼かれながらもがき苦しむ蜩を詠った吉寛。
首切りという、呪われた家業を継いだ男たちだけが知る、尋常でな無い世界があったのでしょう・・・・・。

ちなみに9代目 山田吉亮は8代目 山田浅右衛門吉豊の実弟で大久保利通暗殺犯の「島田一郎」や、「高橋お伝」を処刑。明治十二年(1879年)1月31日に斬首になった「高橋お伝」が日本で最後の斬首刑となり、これももって山田浅右衛門の呪われた家業も消滅いたします。

医学者である渡辺氏の知識が生かされた、歴史医学小説ともいえる「項の貌」。
メスをペンに持ちかえた記念的作品集です。

渡辺淳一氏のご冥福を祈りつつ・・・・・。
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2014年05月06日

不撓不屈の僧、鑑真。

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今日は5月6日は、日本へ渡って律宗(りっしゅう)「戒律」を伝えた唐の高僧、鑑真の忌日。 鑑真といえば幾度もの渡日に失敗し、失明しながらも日本に渡り、真の仏教である「戒律」を伝えた、まさに不撓不屈の僧。

是れ法のための事なり。
何ぞ身命を惜しまんや。
諸人去(ゆ)かざれば,我れ即ち去くのみ。

鑑真55歳の時、日本より遣唐使として来唐した留学僧栄叡、普照の願いにより、日本へ戒律を伝えるべき奮闘する。しかし当時は大陸から日本へ舟で渡ることは命がけの冒険であった。弟子達は命を惜しみ、渡日する者は誰もいない。
「これは仏法のためである。なぜ身命を惜しむのか。誰も行かないなら私が行く」
と断言した鑑真は、5度の渡日に失敗し、嵐で舟が難破して失明しながらも、11年の歳月をかけ6度目で渡日に成功。
「人助けに民族や国境は関係ない」という鑑真の崇高なこの精神。今の日中関係が忘れ去ったモノが、この時代にはあったのですネ。

鑑真といえば、井上靖の歴史小説「天平の甍(いらか)」。留学僧栄叡、普照が唐に渡り、鑑真を日本へ連れてくるまでを描いた物語です。ちょうど私が生まれた頃に書かれたもので芸術選奨文部大臣賞を受賞した名作です。まだ中国との国交がなかった時代、、井上靖は中国に渡り克明に取材し、この小説を書き上げたそうです。そして中国でもこの小説により鑑真が再び注目され、文化代革命のおり、鑑真が住職を務めていた大明寺は破壊されずにすんだというエピソードがあります。
国を超えて人々が助け合う大切さを身をもって示した鑑真。その精神は忘れてはならないものでしょう。

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奈良県、唐招提寺にある鑑真和上坐像。日本最古の肖像彫刻としてとても有名なものです。まるで今も生きて我々を見守っているかのようなお姿でございます。
posted by ツルカメ at 22:43| Comment(0) | 本のはなし・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする